Monday, July 30, 2012

The Ten Psalms


十篇の詩

そのラビは追随者たちに、精液を漏らしたときはすぐに沐浴するように促しました。射精によって生じる害悪が何であれ、自分自身を浄化するために可能な限りすぐ水に体を沈めることにより、それがもたらすかも知れないさらなる影響を回避することがとても重要です。

とは言え、ラビはそれについて全く心配しないように警告しました。このことに関する恐れ、心配および抑鬱は、特にラビがこれの治療となる十篇の詩を明らかにしたあとでは、非常に大きな害悪をもたらします。それは詩16、32、41、42、59、77、90、105、137、150です。そのとき彼はこう言いました。「それが生じた日に十篇の詩を唱えるという助言に従う者はみな自分の罪を確実に正し、それ以上心配する必要がありません」

彼はまた、射精を伴う性的夢想をするときいつも不安になる敬虔主義者と「神を恐れる」人々を笑いました。射精することへの彼らの恐れは彼らに恐れをもたらすだけです。それこそがラビが彼らをあざけった理由です。

彼の主な意図はこのことについて心配や懸念を持たないことであり、それについて考えないことでした。むしろこの肉欲を認める兵士であるべきであり、心をそれから逸らし、全く心配しないことがよいのです。神は、神が適任であると思う人に満足するのです。

ラビはまた、これはバト・シェバ事件におけるダビデ王の汚点だったのだとほのめかしましたが、それを詳しく説明しませんでした。

いずれにしても、人はいつも楽しむように努力しなければならないのであって、何を経験しようと、自分の精神をどのような条件にも支配させてはならないのです。人が堅固で、全く心配せず、このことについて考えることさえ全くせず、喜びを持って無垢に生きているのであれば、あらゆることを安全に決定的に克服できるのです。このことを文字を使って詳しく説明するのは不可能です。しかし、洞察力があれば、人はそれを明瞭に理解するでしょう。

The Pox


痘瘡

va'Yecheeのトーラーを読む安息日のあと、ラビが言いました。「三番目の食事をしている間に、私は痘瘡の治療法に気づきました。いくらかの石灰とその三倍量の石鹸を風呂水に入れ、赤子を水浴させるのです。これは赤子が痘瘡により発熱する前に可能な限り早く行わなければなりません。もしそれが神意にかなっていれば役に立ちますし、そうでなければ役に立ちません」

彼はまた言いました。「痘瘡は金の子牛の罪によって引き起こされるのです。疑問となるのは、『ユダヤ人でない人たちもこの病にかかるではないか』ということです。しかし、ミドラッシュ(創世記ラバー88)で、ユダヤ人でない人たちは実際いかなる病気にもかかるはずがない(、と言うのも、彼らの運命はこの世界の中にあるからだ)、と述べています。彼らがユダヤ人がかかるすべての病気にかかる唯一の理由は、彼らがこの口実でユダヤ人を苦しめないようにするためです。

「このことは、『自分を身分の卑しい者のあざけりの対象にするな』という詩(詩篇39:9)に関するラシのコメントに見い出されます。『彼が、自分は病気にかかっているのにあいつはそうではないとは言えないように、彼にも病気をもたらし、病気にかからせる』この祈りは諸民族を病気にかからせる祈りです。

「しかし別の疑問があります。この病気は確かに子牛の罪より前に存在していました。しかし、かつてその病気はそれほど重くはありませんでした。痘瘡は、医者たちが知っているように、赤子への授乳の結果生じましたが、それは今日ほど危険な病気ではありませんでした。この病は罪のせいです。

「治療法はエレミヤ書にほのめかされています。あらゆることが一つの詩で言い表されています。『人がネザーで体を洗っても、たくさんのボリトを使用しても、神の御前では罪の汚れはまだ残っている』(エレミヤ書2:22)。ラシは、これは子牛の罪を指し示しているのだと言います。ネザーは石灰であり、ボリトは石鹸です。(つまり子牛の罪によって生じたこの病気のこの治療法は、ここでほのめかされています。つまり、石灰で洗い、たくさんの石鹸を使用する。)この驚くべき隠喩を理解しましょう。

The Inner Treasure


内なる宝

ウィーンのある橋の下に宝が埋まっているという夢を見た夢想家がウィーンに旅をして、その橋を見つけました。彼はそこに立って自分がすべきことに思いをめぐらしました。と言うも、日中は通行人のために行動することができなかったからです。そのとき警官がやってきて彼に尋ねました。「おまえは何のためにこの辺りをうろついているのか」

男は、警官に手伝わせ、宝を山分けするために、警官に本当のことを話すのが最良だと決心しました。そこで彼は警官に話をしました。「ユダヤ人だけが夢を追いかける!私も(その男の町の)これこれの場所の、(その男の名前の)誰それの地下室の下に宝が埋まっている夢を見たよ。私はそこの旅行すべきだと思うかい」

その男は真っ直ぐ故郷に帰り、自分の地下室を掘って宝を見つけました。彼は言いました。「結局宝が自分の所有物だったことを私はいまや知ることになった!それなのに、それに気づくためにわざわざウィーンまで行ったのだ!」

同じことは神につかえることにも言えます。各人はそれぞれ個人的な宝を持っていますが、それに気づくには敬虔さへの旅が必要なのです。

The Flood


洪水

昔、一人の王が狩りに出かけました。彼はくつろげるようにいつもの服装をしていました。突然、激しい雨が降り出しました。文字通り土砂降りでした。大臣は蜘蛛の子を散らすように雨宿り先を探し、王を非常に危険な状態に放っておきました。王は辺りを探し回って、とうとう実直な村人が住んでいる小さな家を見つけました。村人は王を中に入れ、王に清潔な服を与え、グロートなどを王と分かち合いました。村人は暖炉に火を入れ、王に寝わらを与えました。王にとってそれはとても楽しく心地よい経験でした。それは王にとってそれまでで一番心地よい経験でした。と言うのも彼は疲れ切っていたからです。

その一方、大臣たちは王を探し回り、とうとう王がそこで眠っているのを見つけました。大臣たちは王を王宮に連れ帰りたかったのですが、王は彼らに言いました。「おまえたちは自分だけが助かろうとして私を助けなかった。他方、この者は私を救い、私はここで楽しい経験をした。それゆえこの者は私を、この者が私に与えたこれらの服とともに馬車に乗せて王宮に連れて行くことになるだろう。この者は王座の私の隣に座ることになるだろう」

ラビはこう話を締めくくりました。「ここからメシアが現れる前には洪水があることが分かります。これは本当の洪水ではなく、一番高い山さえも覆ってしまう異端の洪水なのです。ノアの洪水が直接及ばなかったイスラエルの地でさえも、雨は激しい力で降り注ぎ、イスラエルの地にしぶきを飛ばすのです。言い換えれば、異端は「敬虔な」心にさえ「染み込む」のであり、自分をそれから守る方法はないのです。「大臣たち」でさえ蜘蛛の子を散らすようにして逃げ、まさに王国が震えるのです。実直に詩篇を唱える実直なユダヤ人たちだけが生き延び、メシアが現れるとき、彼らは王冠を被る者となるでしょう」

The Deer


鹿

昔、一人の王がいました。彼は鹿を追いかけましたが、捕まえることができませんでした。大臣たちは彼に追跡をやめるように説得しましたが、王は「私はこの鹿を捕まえなければならない。戻りたい者は戻れ」と言いました。